参加者の声 ~フィリピン交流しまくるツアー2015に参加して~

あとむ 横浜国立大学2年
~人との結びつきをここまで感じられるとは!?~

このツアーに参加した理由はズバリ直観。友人には、「どうしてそんなとこいくの?」「大丈夫なの?安全なの?」「だったらハワイの方がいい。」とかいろいろ言われた。でも私はフィリピンの普通の暮らしを体験してみたかった。

周りから見たら自分は変人であるのだろう。今考えてみると、自分は見たことのない世界の素を見て、何かを感じたかったのだと思う。観光客向けに開発されたリゾート地であるとその土地の素の多くは観光客向けのおもてなしで覆われ、真の世界を感じることができないと思う。

まず、私がフィリピンの一番好きなところ。これは人に尽きると思う。フィリピン人全員なのかはわからないが、少なくとも私に関わって下さったフィリピン人の方々はみんなあり得ないほどやさしく、気さくで、フレンドリーだった。

日本の大学と違い、フィリピンでは2月は普通に大学の授業があるらしい。そんな中、毎日夜遅くまで僕らに付き合って下さった。

フィリピンで流行ってる言葉”Ediwow”。この一言を言うだけで、誰もが笑顔になってしまう。
道端で出会った子供たちも。だから自分も笑顔になってしまう。
もし外国人がタガログ語を話すから笑顔になるのだとしても、たった一瞬、
8日間一緒に過ごしただけで腹の底から笑える関係を構築するのは日本では難しい気がする。

最後にフィリピンと日本を感じたように比較してみたいと思う。

カラオケも大好き。私が泊めて頂いた家にカラオケ機があったし、その友人宅にもあった。
日本人もカラオケ好きはたくさんいるけれども、家にカラオケ機があるなんてなかなかないと思う。

夜11時ごろホームステイ先に帰ろうとすると、今日は友達の誕生日パーティだから、
と会場に連れていかれると、カラオケをしていた。夜の11時過ぎてるのに。(笑)

日本だったら近所に迷惑かかるから絶対にできない。カラオケしてたら絶対にトラブルになるだろうな。

また、ご近所さんとたいてい仲がいい。ひとたび家を出ると知り合いにすごく会う。
日本では、家が隣の人と話さない人もいるのに。日本、殊更、首都圏では人間関係が寂しいなと思う。

日本にいると、時間をいつも気にしている気がする。時間に迫られている気がする。
対してフィリピンでは驚くほど時間が経過するのがゆっくりしている気がした。
1日に見る時計の回数も少なかった。心が解放され、のんびり過ごせる気がしてとても居心地が良かった。

とにかくフィリピンは楽しかった。単純なことで笑いあい、喜び合える。すごく居心地が良かったし、
自分はフィリピン人じゃないのかと思うくらいすごくフィリピンに溶け込んでいた気がした。

東京は確かに何でもあって、物質的には絶対にフィリピンよりも満たされている。
けれども、人間の根底にある人間らしさは日本よりもフィリピンでより感じられた。

今のフィリピンと日本を客観的に鑑みることができ、物事を捉える視点が広がった忘れられない経験になった。

必ずもう一度訪れたい。
 
 

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大沼由加理 ライター
~「僕が僕でいたい」と気づかせてくれた場所~

フィリピンから戻って一週間、なんだか夢を見ていたようだ

毎日見ていた青い空は、
ずいぶん遠くなって、
思い出すこともなく1日が終わる

日本っていうのは、ずいぶん便利な国だ
特に、僕が働いている東京っていう街は

欲しい物はそこらここらにコンビニやデパートがあって、すぐ手に入る
強い雨や風の日だって、地下に潜ってしまえば、そんなの関係ない
寒ければ暖房があるし、暑ければ冷房とアイス
電車はきっちり同じ時間に来る

やることだって毎日沢山ある
朝起きて、シャワーを浴びて、ご飯を詰め込んで、駅までダッシュ
ギリギリ飛び乗って、乗換駅まで眠りこける
乗り換えたら満員電車

始業10分前、

もうすぐ、会社が求める“誰がになるスイッチを入れる

怒られないように、角が立たないように、
上手くいくように、結果が出せるように

たくさんの本は、
仕事の中でやりがいを見つけなさい、
モチベーションを自分で上げなさいと言う

それが、大人になるっていうことで、当たり前のことで、みんなそうやって生きるんだって

僕の周りの人たちはそう言ってた
本当に、そうだろうか

ずっと疑問だった
というか、僕にはそれができなかった
やろうとしたけど、続けられなかった

フィリピンに行って変わったこと

『僕は僕でいたいということ』

日本は、便利だ。とても便利だ。
街は整理されていて、快適で、静かで。

だけど時々息苦しくなったりする
声を出しちゃいけないような
みんなと同じでなきゃいけないような
フィリピンは不思議だ

僕は英語が話せなかったし
もともと人と話すのが苦手だったから、
フィリピンの人たちと距離を置きがちだった

でも、

みんなが声をかけてくれた
大丈夫?って
それは、最初から最後まで変わらなかった

人と話せない僕は、ずっと絵を描いてた

日本でそんな奴がいたら、村八分ですね(死語か)
みんなの輪に入らず、絵を描いてるって
でも、綺麗だね、見せて?ってたくさんの人が言ってくれた
ある、獣医を目指す青年は「僕のために一枚描いてよ!」と言って、僕の絵をたいそう喜んでくれた
別のチャーミングな青年は、僕があげた絵を「フレームに入れて飾るから!」と言って、
翌日ほんとに飾った写真を送ってきた(嬉しくてFacebookのカバー写真にした)
かわいい少年は、Facebookに絵を載せるたびコメントをくれる(英文が書けなくて返信できないんだけど)

僕の絵は、ほんとは、っていうのも変だけど、
ほんとは僕のための絵だったんだ
鬱だったころに、治療で描いてた絵。今も。

だから、誰かに、必要とされるなんて思ってなかった
初めて、僕のものに価値が生まれた

僕が僕であること
やりたいことをやること
やりたくないことをやらないこと

笑いたいときに笑うこと
日本に帰ってきて、毎日絵を描いてる

でもなあ、
っていうのもなんなんだけど

やっぱり日本は忙しくて
絵を描くくらいだったら眠りたかったりして

うっかりしてたら、自分のやりたいことなんてわからなくなる

東京は電子音があふれていて、
時間に切り刻まれて、みんながみんな自分のテリトリーを守ろとして
なんだか、小さな工場みたいだ

気を抜いたらベルトコンベアに巻き込まれて、似たり寄ったりの歯車のひとつになっちゃって

はやい世界の流れに押し流されないように、慌てて空を見上げてみたけど
ビルの隙間から見える空は遠くて狭くて、
なんだか余計寂しくなったりして
なんだかさあ
もうちょっとのんびりしてもいいんじゃない、なんて思ったりするのさ

せめて、自分が自分でいられるくらいのはやさで

この忙しい日常で、自分でいられる時間はどれだけあるのだろう
転がり落ちるように人生は進んでいく

でもさあ、そんなの嫌なんだよ
って大人になれないクソガキの僕はこっそり思うのです

僕の言葉は、ふつうに日本のこの世界で頑張れるひとにはゴミみたいなものかもしれない
でも、日常がしんどくなった人に、届けばいいなと思う

自分が自分でいられる場所
自分でも見失ってしまってた自分を取り戻せる場所

この世界で行き場所がなくなってしまったときに、
ああそうだ、って行ってみる、フィリピン、っていうのは
なかなか楽しい一手かもしれないな、と僕は思うのです

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